[1291] 「知っている人」の知らない側面

~その記事、論点ズレてませんか?【ニュースの視点】~

千葉県で起きた、ベトナム国籍の少女が「地域の見回りおじさん」に殺害された事件。
各報道を見ていたら、「知っている人だけにショック」という声が報じられていました。
この「知っている」という概念、けっして「性格やパソナリティを知っている」というわけではないんですよね。
せいぜい、「何回か見かけたことがある」というニュアンスでしょう。

しかし、コトバというのは、得てして独り歩きするもので・・・。
ひとたび「知っている」と言ってしまうと、コトバが本人から離れて、現実を再定義化してしまうのです。
本来なら、「何回か見かけたことがある」程度。
それなのに、「信頼できる人」という虚構の記憶が、脳に書き込まれてしまいかねない。

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報道一例としての『スポニチアネックス』

試しに、人間関係というのか「隣人度合い」のようなものを、整理してみましょう。
上から順に疎遠となっています。

1.全く知らない人
2.赤の他人(見たことはあるけど関わったことはない)
3.ときどき見かける人(あいさつや演説などを一方的に聞いた)
4.何回かしゃべったことのある人(言葉を双方で交わした)
5.一緒に何かをした人(同一目的の行動を共にした)
6.付き合いのある人(ある程度、相手の考えがわかる)
7.知人・友人(同一目的の行動をした期間が長く、お互いに配慮をする間柄)
8.恋人、パートナー、夫婦(相手のためなら、ある程度の自己犠牲もいとわない)

視覚、視覚+聴覚、会話、理解、自己犠牲・・・何となくですけど、この順でいいような気がします。
そうなると、「知っている人」って、どこら辺に当てはまるのでしょう。
ハードルを低くすれば、「3.ときどき見かける人(あいさつや演説などを一方的に聞いた)」あたり。
高めなら、「6.付き合いのある人(ある程度、相手の考えがわかる)」くらい。

話を本題へ戻します。
虚構の書き込みって、「3」を「6」にするインプリンティングじゃないのかなって思うんですよね。
スペルには、「つづり」のほかに「呪文」という意味もあります。
「知っている」というスペルを放ったとたん、自分と現実が変わってしまう・・・これは、もう、呪文なのではないでしょうか。
結局、「言葉を正確に使いましょう」というオチではありますが、魔法的な何かを垣間見たような気もします。
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[1291] 震災を忘れるなではなく、起きたことを覚えておけ

~その記事、論点ズレてませんか?【ニュースの視点】~

熊本地震から1年の経過が報じられるなか、「震災を忘れるな」という意見に、どうも付いていけないのです。
あまりにいろいろな事柄を詰め込みすぎて、むしろ、意味があいまいになってませんか。

地震が起きると、こういう現実に突き当たるよ。
まず、やらなきゃいけないことはコレコレ。
逆に、やらないほうがいいのはナニナニ。

そういう能動的な教訓を一義にすべきですよね。
もちろん寄付や支援なども必要なんだけど、それは、教訓と平行した「別個マター」という気がします。
そのそれぞれに対してポジティブな関わり方をしていけばいいだけでしょ。
「出来事を忘れるな」で伝わりますか、それ。
総花過ぎて、逆に、ハシゴを外されちゃってないですか。

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『エキサイトニュース』が引用した、一例としての報道

民間企業や官公庁では、教訓を生かすプロセスが実行可能。
でも、個人の場合って、よっぽど意識が高くない限り無理ですよね。
せいぜい、防災グッズを整えるぐらい。

例えば仮設住宅に入った場合、生活費はいくらぐらいかかるのか。
被害を受けた街並みや施設は、誰が音頭を取って再生していくのか。
年金や健康保険の納付が一時的にできなくなったら、どのような対応を期待できるのか。
そういうノウハウって「ゼロ」じゃないですか。
また、それらを知ることで、支援やボランティアの糸口になる場合だってある。
なのに、「震災を忘れるな」で喚起できるのかなぁと、そう考えてしまうわけですよ。

本質は、「いろいろと知っとけ」というプラスの話でしょ。
「記憶の減退を防げ」っていうマイナス防止の話じゃないでしょ。
福島や熊本に限らず、日本のどこでも起こり得る事柄なんですから。
教訓・・・というか、極論すると「前例を示してくれている」という見方が、正直なところなんじゃないかと考えます。

[1290] 表と裏が両立しない、教育勅語という名のコイン

~その記事、論点ズレてませんか?【ニュースの視点】~

以前からギロンの続いていた『教育勅語』の問題で、連立与党が、「歴史的資料として使われることは妨げない」とする見解を示しました。

賛否両論、それぞれあるなか、ギロンがかみ合っていない印象を受けませんか。
だって、ヨシと言う側は良い面だけを評価しているし、ダメ派は悪い部分しか見ていない。
つまり、同じ事柄を検証しているわけではないのです。
例えるなら、10円玉の「オモテ」論争のようなもの。
「10」なのか「平等院」なのか、それぞれが「それぞれだ」と言っていては、永遠に解決しないじゃないですか。
そうじゃなくて、「コインの表は、何によって決まるのか」を、真っ先に論じないと。

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「時事ドットコム」より、『教育勅語』の全文

では話を戻して・・・教育勅語問題で問われている話題は何なのか。
それは、
「子どもに対し、教材として使用することの是非」
ですよね。

教育方法が絡み出すと脱線していくので、ここでは「教材としての是非」に絞りましょう。
暗記させるとか、当時の思想を押しつけるとか、そういう話じゃない。
それは『教育勅語』の使われ方に関することなので、別レベルのギロンが必要です。
「コインの表は、何によって決まるのか」と同様に、「教材としての是非」を先としましょう。

そう考えると、連立与党の発言は、至極、ごもっともなんです。
「使え」と言っているのではなく、「歴史的資料として使われることは妨げない」なんですから。
むしろ、「使用は厳禁」とするほうが、思想の強制っぽいですよね。

じゃあってことで、やっとその先に「運用」の問題が見えてくるわけですけども、そこには憲法第13条に掲げられた「基本的人権の尊重」がありますからね。
小学生はおろか赤ちゃんであっても、他人の意思を強制することはできない。親も例外ではありません。
だから、もし強制されたら、第13条で「運用」の違法性を問えばいい。
それだけの話でしょ。
家族の在り方とか、個人より国を優先する考え方だとか、そんなことをギロンする必要は一切ありません。
参考は可、強制は不可、以上。

[1289]プレミアムフライデーを花金で終わらせないために

~その記事、論点ズレてませんか?【ニュースの視点】~

この3月から始まった「プレミアムフライデー」。
かつてあった「花の金曜日」と違うところは、生産効率の向上をねらった国による仕掛けであること。
だから、「らっしゃい、らっしゃい」的な民間主導とは一線を画すはず。
それだと、単なる消費誘導になっちゃいますからね。
企業による半ば強制的な「就労時間のカット」が、前面に来てなきゃおかしい。

ちなみに、「生産性」のような「性」の付く言葉は「人の気持ちを表すもの」だと考えていますから、ここでは「生産効率」で通します。
モチベーションとかやりがいのようなマインドが「生産性」。
結局、ヤル気になって生産効率が上がれば一緒なんですけど。

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大方の意見が集約されている『スマダン』の記事

話を戻しまして。
そうはいっても、「花の金曜日」と変わらないオチになりそうですよね。
もっと、雇用主側から仕掛けないと。

それに、消費型の場合、金曜日に忙しい商店や人が出てきちゃうじゃないですか。
「会社員」のパイを削って「個人商店」のパイに移動させているだけだと、全体で見たときに、全く変わらない。

そうじゃなくて、例えば金曜の午後は直帰奨励とか。
NPOやボランティアの活動を義務づけて、人事評価の項目にするとか。
お題目はフリーな研修・セミナーに補助金を出すとか。
そういうことで新しい生きがいや人生の目標を見つけてもらうほうが、「プレミヤム」感はありますよね。
昼からビール・・・って話じゃ、決してないと思うんですよ。

もしくは、金曜に限って、ほかの部署の仕事をやらせたらどうだろう。
それなら、夕方からビール飲んで、人事交流を深めてもいい。
最初は手間だろうけれど、長い目で見たら、生産効率が向上するんじゃないかな。
経理がわかる営業とか、現場を知っている総務とか。
部長の職能を課長にやらせたり、役員に平社員の雑務を任せたり、派遣の指示で社員が動いたり・・・そういう取り組みをしていれば、学生による就職番付も上がると思うんだけど。

[1288] 『R25』の思い出

~その記事、論点ズレてませんか?【ニュースの視点】~

先行して休刊となっていた『R25』がこの春、その関連業務も含めて、ついにサービス終了となるようです。
この媒体には思い入れがあり、寂しい限りです。
何を隠そう、『R25』を吉野家で手に入れられるようにしたのは、この私なんです。
当時、そういう仕事をしていました。

創刊当初は「25」という数字とあまり関係なく、「男性に向けた『初』のフリーペーパー」という位置づけだったように記憶しています。
編集長はKさんだったんじゃないかな。
それが首都圏へ絞り込むようになり、やがて駅設置がメインになると、どうやら「女性にも人気がある媒体」という、想定していなかった方向が垣間見えてきました。
なので、「25」とは終始無関係だったんです・・・というとおおげさですけど・・・。
最終的には、男性向けというコンセプトも、あやふやになってきました。

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「山ガハ」が紹介されたときの同誌、厳重に保管しています

そういえば、Kさんの「ノイズが混ざる」という表現を、いまでも覚えています。
あるときは郊外の読者がノイズで、またあるときは女性・・・そんな試行錯誤を繰り返していましたっけ。
いまとなっては、懐かしい思い出です。

リスティングや連作連動広告が出現する前の、紙によるターゲッティング。
アナログなセグメント。
もし、サービス終了に何かしらの意味づけを関連づけたいなら、「そういう時代のひと区切り」というテ―マになるんだと思います。
創刊から13年ということは、当時の読者がアラフォーということ。
30代の記者には、響かない話題なのかもしれません。

[1287] ひっかけられた籠池フックを外す方法

~その記事、論点ズレてませんか?【ニュースの視点】~

すっかりワイドショーの定番になった森友学園の問題。
我々一般人が学べることといえば、「全く知らない人から、いつでもフックを引っ掛けられる恐れがあること」でしょう。
ここで言うフックとは、籠池氏がほのめかしている、阿倍首相周辺との関連性です。

例えば、「オレ、芸能人のAとは、古くからのダチなんだ」とか、「建設に顔が利く政治家を知っているから、一肌脱いでやろうか」とか、その手の話は言ったもの勝ちなんです。
本当かどうかは別にして。
ところが、コネクトされた側が虚偽を立証しようとしても、実質、なすすべが無い。
生まれてからこれまでのアリバイを1分ごとに並べて、関係性のないことを示す・・・みたいな話になってくる。
だから、名誉毀損(きそん)を訴えようとしても、おのずと限界があるでしょう。

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報道の一例として、『産経ニュース』

では、黙って手をこまねくしかないのか。
たぶんですけど、やりようによっては、立場を逆転できるような気がしています。

例えば、阿倍首相とのパイプを期待して、森友学園に寄付をした一般人がいるとしましょう。
ところが最近の報道によると、首相周辺は関係性を拒否している。
完全なクロとは言い切れないものの、自分はシロだと思っていたから、寄付をしたんだと。
グレーである以上、当初の事実に反するじゃないか。金を返してクレ。

この理屈なら、籠池氏にできることは二つ。
パイプを立証するか、パイプのないことを認めて金を返すか。
まあ、間に立つ一般人がいるかどうかはわかりませんけど、応用次第で、ほかの方法も考えられそうじゃないですか。
自分だったら、名誉毀損にしないで、向こうが汗をかく作戦にするけどな。

ということで、知らない人からフックを引っ掛けられたら、外し方に注意。
「そんな人知らないし、迷惑」という理屈では、こちらが汗をかかないといけない。
行為者が自らフックを外すか、放置しているとお縄になるような状況を作り出す必要があります。
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Author:てつまる
神奈川県を中心にフリーで活動しているライターです。
超IT系を除き、医療・各士業・経営者・アスリートへの取材、アーティストプロモート(情報発信)、イベントレポなどを手がけています。

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