[1269]像とは、ストーリーを伝えるメディアである

~その記事、論点ズレてませんか?【ニュースの視点】~

どうやら、名前に「公」の字を付けると忠犬が育つようで。
このたび横須賀に、雪崩から主人を救ったイヌの銅像が建てられました。
その名も「忠犬タマ公」。
新潟県で猟師に飼われていた、メスのシバ犬だったそうです。

ハチ公でもタマ公でも構わないんですが、銅像が建てられると、初めて「そのストーリーを知る」というところがありますよね。
そう考えると、これらの像が、まるで自費出版をした冊子のように思えてきませんか。
いわば、メディア的な性格を持っているのでしょう。

1269.jpg
像の寄贈を伝える『カナロコ』の記事

像のネタといえば、ハナ肇さん。
ま、それはそれとして・・・ああいう像って、学校やら企業のエントランスやらに、良く置いてありますよね。
そのねらいは「顕彰」にあるはずなんですよ。
知られていない事実を明らかにするストーリーテリングの一種かもしれない。
そこには、当然ですが、忠実な描写が望まれる。

ところが、史実を無視したフィクション系の像もあるんです。
それこそズバリ、二宮金次郎像。
この間の『SAPIO』でも、そのような記事を書かせてもらいました。
不思議なことにニノキンは、作り手のバイアスによって姿を変えます。
勤勉を知らしめさせたければ立って本を読ませ、「歩きスマホが危険」となれば座らせる。
それに、あのランドセルみたいな農具は明治以降の話ですから、そもそも忠実な描写ではないわけです。
これって、ニノキンだけが持つ、非常にユニークな特徴ですよね。

じゃあ、キリストやマリア像はどうなのか。
土地や国による作風があるじゃないか・・と言われると反論できません。
でも、あれこそ、宗教を伝搬させていくためのメディアなんですよ。
作り手のバイアスは造作に限定されていて、ストーリー自体が曲がるわけではない。
こう考えると、像って、おもしろいですね。
メディア論が書けちゃう。

さらに言うと、アメニズムを原則とする神道には、像がありません。
なぜなら、神はあらゆる自然物に宿ると考えるからです。
なので、像を造る代わりに、岩や木などを祭ります。
メディアに例えるなら、文字を持たない口頭伝承といったところでしょうか。
おっと、像から外れてしまいました。

思いつきで恐縮ですが、自分が彫刻家なら、本の形をしたオブジェを造ってみたいですね。
タイトルは、もちろん「像」。
像の本質はメディアなんです。
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神奈川県を中心にフリーで活動しているライターです。
超IT系を除き、医療・各士業・経営者・アスリートへの取材、アーティストプロモート(情報発信)、イベントレポなどを手がけています。

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