[1290] 表と裏が両立しない、教育勅語という名のコイン

~その記事、論点ズレてませんか?【ニュースの視点】~

以前からギロンの続いていた『教育勅語』の問題で、連立与党が、「歴史的資料として使われることは妨げない」とする見解を示しました。

賛否両論、それぞれあるなか、ギロンがかみ合っていない印象を受けませんか。
だって、ヨシと言う側は良い面だけを評価しているし、ダメ派は悪い部分しか見ていない。
つまり、同じ事柄を検証しているわけではないのです。
例えるなら、10円玉の「オモテ」論争のようなもの。
「10」なのか「平等院」なのか、それぞれが「それぞれだ」と言っていては、永遠に解決しないじゃないですか。
そうじゃなくて、「コインの表は、何によって決まるのか」を、真っ先に論じないと。

1290.jpg
「時事ドットコム」より、『教育勅語』の全文

では話を戻して・・・教育勅語問題で問われている話題は何なのか。
それは、
「子どもに対し、教材として使用することの是非」
ですよね。

教育方法が絡み出すと脱線していくので、ここでは「教材としての是非」に絞りましょう。
暗記させるとか、当時の思想を押しつけるとか、そういう話じゃない。
それは『教育勅語』の使われ方に関することなので、別レベルのギロンが必要です。
「コインの表は、何によって決まるのか」と同様に、「教材としての是非」を先としましょう。

そう考えると、連立与党の発言は、至極、ごもっともなんです。
「使え」と言っているのではなく、「歴史的資料として使われることは妨げない」なんですから。
むしろ、「使用は厳禁」とするほうが、思想の強制っぽいですよね。

じゃあってことで、やっとその先に「運用」の問題が見えてくるわけですけども、そこには憲法第13条に掲げられた「基本的人権の尊重」がありますからね。
小学生はおろか赤ちゃんであっても、他人の意思を強制することはできない。親も例外ではありません。
だから、もし強制されたら、第13条で「運用」の違法性を問えばいい。
それだけの話でしょ。
家族の在り方とか、個人より国を優先する考え方だとか、そんなことをギロンする必要は一切ありません。
参考は可、強制は不可、以上。
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神奈川県を中心にフリーで活動しているライターです。
超IT系を除き、医療・各士業・経営者・アスリートへの取材、アーティストプロモート(情報発信)、イベントレポなどを手がけています。

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