[1753] 大声や暴力は、人を従わせる最もヘタな方法

~フリーランスライターがつづる、人生を楽しむヒント~

アメリカのドラマで良く見かける、やたらにわめき散らすシーン。
あれに「引く」ことってないですか。
何でそこまで感情をあらわにしてんだ。自分を見失っていないか・・・みたいな。
で、大抵は、最後までテンションをキープできた側が支配権を持つ。
つまり、これは、相手を従わせるプロセスだったんですね。

そもそも「怖さ」って何なんでしょう。
アメリカ人の怒鳴り合いと、その反作用としての怖さを見ていたら、実在しない架空の概念のように思えてきました。
架空というのか、瞬間的な位置エネルギーの偏りというのか、気の持ちようによっては無視できる存在なんです。

例えば、電池が切れかけてきたラジコンが、思うように動かなくなってきたとしてください。
そこで、電池を新しいものにすると、電波が強くなる。
人も同様で、魅力や理論構成力に乏しい人だと、他人を説得することができない。
そこで、威喝・恐喝というパワーをもって、人を操ろうとする。
つまり、「怖さ」の源は、本人の「弱さ」なのではないか。
大声や暴力を用いる人は、怖いのではなく、むしろ弱い存在・・・ということに気付いてしまったんです。

金太郎の像
力によって熊を従わせた人の例

そういえば、童話『北風と太陽』って、この核心を突いていましたよね。
負けた北風は、結局、人を動かせなかった。
つまり、「怖さ」を用いる人が最も恐れているのは、従わせられないことなんです。
相手が従わなかった瞬間、自分には「何もできない」ことがバレてしまう。

そう考えると、大声や暴力に対して、ちょっとしたゆとりが見えてきませんか。
「ああ、うまくいってないから、電池を替えてきたな」といったような。
電池が切れた瞬間、負けが確定。
大声で鼓膜が破れることなんてないし、暴力によって受けた傷はいずれ治る。
でも、負けは永遠に負けなんです。

話は変わって・・・変わらないんですけど・・・子どもへの接し方もそうですよね。
大声で「ナニナニしなきゃダメでしょ」なんて叫ぶのは、子どもが言うことを聞かないからなんです。
それって、親の負けを認めているようなものですよね。
あれは、アメリカ人の怒鳴り合いと同じぐらい、意味が無い。
そうじゃなくて、ゲーム感覚で妥協点へ誘導できたりする人が、本当に「強い」人なんでしょう。
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Author:てつまる
神奈川県を中心にフリーで活動しているライターです。
超IT系を除き、医療・各士業・経営者・アスリートへの取材、アーティストプロモート(情報発信)、イベントレポなどを手がけています。

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