[2251] 生きるための犯罪、現実逃避としての犯罪

~その記事、論点ズレてませんか?【ニュースの視点】~

秋葉原で起きた無差別殺人事件から10年。
そんな記事がきっかけとなり、初めて、この事件のことを詳しく知りました。
殺人の動機は、生きづらくなった社会からの逃避にあったみたいですね。

現実がいかんともしがたいから、刑務所の中に逃げ込む。

この傾向はどうやら、無差別殺人全般にいえるようです。
中には、生活ができなくて、メシを食うために殺人を犯すというケースもありました。
そんな動機で犯罪をされたら、たまったものではありません。

秋葉原無差別殺人から10年の経過を報じる誌面
事件報道一例としての「YOMIURI ONLINE」

その一方でピンと来たのが、先日カンヌ受賞をはたした、映画『万引き家族』でした。
あれは、見つからないことが前提。
もちろん、この作品に犯罪を容認するというような意図はないのでしょう。
また、そうした非難を覚悟したうえで、制作されたんだと思います。
別に、映画の評論がしたかったのではなく、パターンとしては「別」ということが言いたいだけです。

「刑務所暮らしが、何かしらの益に結び付く側面を持っている」

本題はコッチ。
秋葉原の場合は、嫌になった人生を終える手段として。ほかの殺人事件では、糧を得る手段として。
地獄で舌を抜かれるわけじゃなし、ある意味、いまのシステムって「使えるね」。
そう捉えられたら、かなわんということです。

ただし刑務所は、「罪を憎んで、人を憎まず」という人格矯正装置でもあるわけです。
どんな人にも、再生のチャンスはあるはずだと。
だから、血の池地獄なんてことはせずに、人間として扱おうと。
これは、難しい問題ですよね。
刑務所がサンクチュアリになっても困る。

このジレンマに対して、かつての日本は、いま考えると有効なシステムを持っていました。
「島流し」です。
過酷な環境だけど、社会と切り離された場所で、人として生活してもらう。
サンクチュアリと地獄の中間。
再生装置も担うけど、好んで行こうとは思わない。
聞くところによると、行ったら行ったで、やりがいをみつけちゃった人もいるそうじゃないですか。
生きるための犯罪、現実逃避としての犯罪をやむなしとするなら、むしろ筋が通る。
なんなら、罪を犯していなくても「島流し希望」ができちゃったりして。
そうなれば、無差別殺人が減るんじゃないですかね。
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Author:てつまる
神奈川県を中心にフリーで活動しているライターです。
超IT系を除き、医療・各士業・経営者・アスリートへの取材、アーティストプロモート(情報発信)、イベントレポなどを手がけています。

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