[510]はかま右足タイプの誕生

~ニノキン・クロニクル【二宮金次郎像オマケコラム】~

着物の裾を入れ、はかまをはくタイプのニノキンの多くは、「左足を前」にしています。

ところが、初号機と、その子孫である岡崎三兄弟は、はかまなのに「右足が前」。しかも、昭和7年設立の「岡崎市立矢作西小学校像」を最後に、このタイプのものは絶滅しているはずなのです。
では、だれが、足を出し間違えたのか。

実は、この謎は、二号機の「愛知県豊橋市立前芝小学校像」にあると考えています。
一般の「はかま左足」と比較してみてください。
奇妙な共通点がみつかりませんか?

510.jpg
左は「二号機」、右が「はかま左足」

・足の出方が統一される
・足元に、重い石像を固定させるための切り株がある
・材質は同じ石像

つまり、誰かが足の出し方を間違えたのではないのです。
誰かが、着るものを間違えたのです。

最初は、二号機や三機を、「着物右足」のルーツだと思っていました。
だって、実際に着物着ていますから。
しかし、そうなると、
・足の出方が違う
・産地が違う(富山県と愛知県)
・材質が違う(銅像と石像)
・切り株の有無
などの、矛盾点が出てきます。

5101.jpg
左は「三号機」、右が富山県で製作された「小田原原像(着物右足)」

要は、どちらがより「違和感なく」、連続性が見てとれるかなんです。
【上】同じ土地で材質も一緒、意匠だけが変わった(初号機の影響を受けた)。
【下】産地と材質が違うが、意匠だけは似ている。

ワタシは、同じ愛知県内で、二号機や三号機の加藤系列と、初号機や岡崎三兄弟の両者がハイブリットして、「はかま左足」が生まれたのではないかと考えています。
これを裏付けるのが、1932(昭和7年)に設立された、「名古屋市立幅下小学校像」。完全な「はかま左足」で、岡崎三兄弟の滅亡と入れ替わるように造られていました。ちなみに、それより早い「はかま左足」は、まだ見かけていません。

したがって、「はかま左足」は、石像固有の愛知モデルといっていいでしょう。
「着物右足」は、以前紹介したとおり、銅像固有の富山モデル。ただし、こちらは戦時供出により失われ、コンクリートや石像としてリニューアルされてしまいました。今では、銅・石での分類が不可能となっています。
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Author:てつまる
神奈川県を中心にフリーで活動しているライターです。
超IT系を除き、医療・各士業・経営者・アスリートへの取材、アーティストプロモート(情報発信)、イベントレポなどを手がけています。

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